日本のすごい人!シリーズ②「ジョン万次郎(まんじろう)」(1827–1898)

日本のすごい人!シリーズ②「ジョン万次郎(まんじろう)」(1827–1898)

今回はシリーズ2回目「日本人でもあまり知らない」日本の歴史人物れきしじんぶつについてお話をします。 日本の有名な歴史人物は、みなさんすでに、知っているひとが多いと思うので、あまり知られていないけれど、すごい人を紹介していきます。

「ジョン万次郎」(1827–1898)

ジョン万次郎まんじろうは「ジョン」とつきますが、日本人です。本名は「中浜なかはま 万次郎」といいます。ジョン万次郎は、日本で始めて、英会話の本を書いた人、と言われています。どうして「ジョン」という名前がついているのか? どうして英語を話すことが出来たのか、これから紹介します。

ジョン万次郎のおいたち

万次郎は高知県で生まれました。家はとてもまずしかったので、学校に行くお金がありませんでした。万次郎のお父さんは、万次郎が9才のときにくなってしまったので、家族を支えるために、仕事をしていました。

ある日、船で魚を取りに行ったとき、船は波に流されてしまい、誰もいない「無人島むじんとう」にたどり着きました。これは万次郎が14才のときのことです。

万次郎は「無人島」で140日ほど、仲間たちと、苦しい生活をしていました。そこへ、偶然ぐうぜん、アメリカの船が通り、万次郎たちのことを見つけてくれました。

その船の名前が「 ジョン・ハウランド 」です。船に乗っていたアメリカ人は、万次郎のことをとても気に入りました。そして、船の名前から、万次郎に「ジョン」というニックネームを付けることにしたのです。

助けられた万次郎は、日本に帰ることが出来ませんでした。なぜなら日本は「鎖国さこく」といって、海外から日本に入ってくる人やモノを、すべて受け入れ禁止にしていたからです。万次郎はアメリカに行ってみたい、という気持ちもあったので、その船でアメリカに行くことになりました。

日本では学校に行くことが出来なかった万次郎ですが、アメリカでは、船長の家にホームステイさせてもらい、学校で勉強することも出来ました。英語が話せない万次郎は、クラスメートから、いじめられたりしましたが、がんばって勉強して、学校で1番の成績せいせきを残しました。

学校を卒業したあと、万次郎は日本に帰ることを決めました。無事に日本に着くことが出来ましたが、その時の日本政府せいふは「外国から帰ってきた」万次郎を「あやしい人」だと考えました。万次郎は部屋に閉じ込められ、色々と質問をされ、約2年間は自由になれませんでした。

しかし、万次郎が海外のことを良く知っていることを知ると、人々は万次郎から、色々と学ぶことになりました。そのうちの一つが「英語」です。万次郎は自分で英語の本を作り、日本人に英語を教えることになりました。

万次郎は英語の辞書じしょを作りましたが、それは今も残っています。たとえば英語の発音については、 “English” =「えんけれせ」、”Sunday” =「しんれい」”Water” =「わら」と日本語で書いてありました。

これは今の英語辞書の読み方 、「イングリッシュ」「サンデイ」「ウォーター」とは違いますが、この時代の日本人にとって「英語」は、このように聞こえていた、ということが分かります。

アメリカ人がやってきた!

1853年、日本に大きな「できごと」がおきます。日本は「鎖国」をしていましたが、これをやめるように、アメリカの海軍かいぐんにいた「マシュー・ペリー」という人が、日本に命令をしに来ました。

当然日本には英語が話せる人はいません、日本全体があわてていると、政府せいふは、英語が話せる万次郎のことを知ります。そこで、万次郎に「通訳」をお願いしようとしたのです。

しかし、万次郎はアメリカのスパイだ、という「うわさ」が流れてしまい、結局、万次郎は通訳をすることが、出来なかったそうです。ここでは英語を使うチャンスをのがしましたが、そのあとジョン万次郎は、日本で最も優秀ゆうしゅうな大学で、英語教師として活躍しました。

そして、日本の1万円札の「顔」、福沢諭吉ふくざわゆきちとアメリカに研究に行くなどして、有名な歴史人物たちに大きな影響えいきょうを与えました。

福沢諭吉に関する別記事はこちら日本のお札、あの人はだれ?

ジョン万次郎という「人間」

ジョン万次郎はその「人の良さ」から、まわりからとても好かれる人でした。えらそうにしないで、いつも優しい人だったそうです。72才で亡くなるまで、貧しい人たちを助けたり、社会の役に立つことを、いつも考えていました。

ジョン万次郎について、ひとつの「うわさ」があります。先ほどのアメリカ海軍「ペリー」が日本から帰るときに「日本にはとても優秀ゆうしゅうな通訳者がいて、おどろいた」と話したらしいのです。

当時日本には、ジョン万次郎以外に英語を上手に話せる日本人は、いないはずです。つまり、ペリーの通訳として、実はジョン万次郎が会議に参加していたのではないか、という話があるのです。みなさんは、この「うわさ」どう思いますか。

まとめ

貧しい少年時代を送った万次郎は、突然のできごとからアメリカに行くことになりました。慣れないアメリカで、英語がわからなかった中でも、とてもまじめに勉強しました。

そして日本に帰ってからは、国に大きな影響を与えるほど、貢献こうけんしました。「たまたま」アメリカに行くことになったジョン万次郎ですが、他の誰もが同じようなことを、できたわけではありません。ジョン万次郎がいなかったら日本の歴史は変わっていたかもしれません。

日本の歴史にはこうした「グローバル人材」がいたことを、ぜひ知っておいてください。そして、ジョン万次郎のように「海外で経験したことを自分の国に貢献する」人間を目指したいですね。日本で働くみなさん、ベトナムで働く私たち日本人も、がんばりましょう。

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